悩みは平等におとずれる
何のとりえも無い。何の才能もない。
自分はいったい何のために生きているのだろう。
何をしたら良いのだろう。何になりたいのだろう。
一ヶ月に一回くらいは、ふとそんなことが頭と心を支配する。
結局すぐさま「これやってみよう」「これは私の才能を開花させるものかも」と
明るい未来をすぐに信じれる性格。そのため何かに取り組み、手を動かし頭と心から
「何のため」議論はすっかり消え去るのである。
ラジオの「お悩み相談」のコーナを聞くのが好きだ。
自分にも当てはまりそうなお悩みから、全く思ったことがないようなお悩みまで
他人の悩みって面白い。本人は真剣に悩んでいるのだからおもしろがっては不謹慎であるが。
共働きなのに夫が家事、育児をやってくれない。兄弟姉妹の間の金銭問題。職場の同僚の行動が気に入らない。
人それぞれ、大きい小さいに関わらずいつだってみんな悩んでいる。
ある日の「お悩み相談」コーナー。
新入社員の女性が「職場の同僚たちはみんなきれいでおしゃれ。自分は田舎出身で上司や先輩からもあまり声をかけてもらえず自分に自信がない。」
的なお悩みメッセージが読まれた。パーソナリティの方が、入社二年目のパートナーの女性アナウンサーの方へ話しをふる。
「あなたと同年代ね。去年一年目のときあなたはどうだった?」
すると彼女は
「私は自分にとりえがないことを悩んでいました。」
と答えたのである。
私は驚いた。とってもとっても驚いて安心した。
世の中で憧れの職業と言われる女性アナウンサー。なりたい人がたっくさんいる。
狭き門をくぐりぬけ、選ばれた人。そんな人が「とりえがない」と悩んでいた。
こっちからしたら「とりえしかないだろうよ。女子アナめ。」なんて毒づいていたが。当たり前に彼女だって悩んでいた。
私もまた今こうしてパソコンに向かいながらだって。悩んでいる。
自分が思うことを形にする方法をいつだって悩み考えている。
これが私で、これが私の「とりえ」なのかもしれない。